こんにちは。
あなたの人生に少しの灯をともす本屋 BOOKS ROUTE 193です。どうぞゆっくり見ていってください。
今日ご紹介する一冊は、フランスの作家ジャン=ポール·ディディエローランによる物語「6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む」です。
フランスの短編小説家で、2度ヘミングウェイ賞を受賞していて、本書も世界各国で翻訳されています。
本を愛する人にとって、本とは何かを改めて考えさせてくれる素敵な一冊です。
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【本を殺す仕事。本を生かす仕事。】
主人公のギレンは本の裁断工場で働く、言わば「本を殺す仕事」を行う青年。仕事は退屈で人にも恵まれず、本を死へ追いやる日々に何の喜びも持てていません。
しかしそんな彼を唯一保つためのルーティンがありました。
それは、生き残った本のページを「往生」させること。
彼は毎日、裁断機から漏れ残った本のページを持ち帰り、次の日の通勤列車の中で朗読をしています。
その朗読という行為が、彼にとって、生き残ってしまった本を往生させるという意味なのです。
一度は裁断機に入れられ死を迎えた本。しかし、生き残ったページを電車でそっと朗読する。その行為を彼は「往生させる」と言いますが、最後に誰かに届けることは、本を生かそうとしているのではないかと私は思います。
そして読み終えたページをそっと残していく。
そんなある日、電車の中でUSBメモリを拾います。その拾ったUSBメモリの中に書いてあった日記を読んだ日から、彼の人生は少しずつ動き始める。
という物語になっています。
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【本とは何か。読むとは何か。】
彼が電車で読んでいたのは、本の端切れであり、私が思う「電車で本を読む」というイメージとは違いました。
しかし、100ページ以上からなるような、起承転結があり、きちんと製本されたものだけが、本なのだろうかと考えさせられました。
彼が人前で朗読するのは、裁断機から漏れた始まりも終わりもない本の1ページ。
ですが、聴衆にとっては、ほんの僅かな文章でもそれぞれの人の中で、その物語が広がっていく様が感じ取れます。
また、USBに入っていた誰かの日記を覗いた彼自身も、どこの誰だかわからない人の物語を、自分自身の中で広げていきます。
そういった様子を想像すると、本というのは何も形を整えていなくとも、誰かに物語を届け、そしてそれが広がっていくのであればどんな媒体でもいいのではないかと考えさせられます。
わずかな物語の欠片を与えられるだけで、私たちは様々な想像を膨らませることができるんです。
電子書籍は本じゃないだの、ネットで物を読むことは読書じゃないだの言われますが、そうした議論に新しい視点で一石を投じてくれる一冊のように思います。
本を読むことは、書かれていることを理解することだけではなく、想像を膨らませて自分自身の中で物語を育てていく楽しみもあるんだなぁと改めて感じさせてくれました。
【胸に残った言葉たち】
「皆、私のような人間に、こうあるべきというイメージを持っていて、そのイメージから外れないことを期待しているんだ。」
「人は見た目で判断する。うわべの下にどんな中身が隠れていても、興味を持たない」
「翌朝そこに書いてある言葉を同じ列車の中でギレンが読み上げるのは、紙を言葉から解放して、きちんと往生させるためだった。」
「僕は本が大好きです。でも、起きている時間のほとんどは本を破壊することに費やしています。」
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【6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む 本の紹介】
著者:ジャン=ポール·ディディエローラン
翻訳:夏目大
出版社:ハーパーコリンズ
発売日:2017年6月25日
価格:1400円(税別)
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